基地返還土地『那覇新都心・おもろまち』歴史と名前の由来まで

旧・牧港住宅地区(那覇新都心)

基地返還地・新都心編

沖縄と米軍施設

沖縄には多くの米軍基地が存在しています。

戦後の強制収用で多くの住民が土地を追われ、基地や米軍関係者の施設が建設されてきました。

現在も日本にある米軍専用施設面積の約70%が沖縄に位置していますが、いくつかの場所では土地の返還が行われてきました。

基地の跡地利用で最大の成功例と言われる「那覇新都心」地区も元々は米軍施設。

かつての大戦では激戦地としても知られるこの地が、どのように変わってきたのか。

旅行者には意外と知られていない新都心地区の歴史ですが、今回はその歴史を見ていきます。

まずは那覇新都心の情報

基本情報

まずは基本情報の確認から。

那覇新都心地区は那覇市北西部に位置しており、那覇空港からは車で約30分、面積は2.14km2で東京ディズニーリゾートと同程度の広さ。

人口は約2万人で労働人口も約2万人。商業施設や学校、住宅と県民にはなじみ深く発展してきた土地です。

那覇新都心を構成するのは、おもろまち・銘苅・安謝・天久・上之屋の各地域。

那覇空港の航空規制外の地域なので高層マンションの建築や計画も進み、これまでの那覇とは違った一面を見ることも出来る新しい街となっています。

戦後の土地収用

返還前の那覇新都心地区(那覇市歴史博物館 提供)

大戦と戦後収容

那覇新都心は戦争中、首里の攻略を目指す米軍と司令部を守りたい日本軍との間で激しい戦闘が行われ、数千人の命が失われた場所。

終戦後は各地で米軍による土地の収用が始まり、住民は土地を追われることとなります。

しかし当時のアメリカが、沖縄を単に基地の為の土地と考えていたわけではなく、経済を発展させ住民の生活向上を考えていたことも事実。

終戦直後の無貨幣状態の時代には配給を行い、道路・港湾を整備し、アメリカ主導で沖縄民政府が成立した後は政治・経済も落ち着きを取り戻し始め、次第に米軍による規制も緩和され始めます。

その結果、基地の周りを中心に人々が集まり徐々に繁栄を見せてきました。

牧港住宅地区として整備

那覇新都心地区は「牧港住宅地区」として整備されます。

ここは米軍関係者の住宅地となり、プール・スケート場・ゴルフ場など娯楽施設も併設。国道58号線と国道330号線に接し、空軍と陸軍の将校、下士官及び軍属など約3,000人が居住していました。

戦後1945年から返還される1987年までの42年に渡り、米軍専用施設として利用されてきたのです。

返還と開発計画

空撮・1970年(国土地理院 提供)
空撮・1993年(国土地理院 提供)
空撮・2010年(国土地理院 提供)

返還が決まる

戦後、強制接収と返還を繰り返してきますが、1974(昭和49)年に日米政府間で条件付全面返還が合意され、1987(昭和62)年に全面返還されました。

その後、県や市・都市再生機構によって区画整備が行われ、1988(昭和63)年に都市計画を決定。

1992(平成4)年から工事に着手し、開発が始まりました。

急速に発展を遂げる

1998年、那覇国際高校開校。

1999年、職業総合庁舎開所。

2000年、天久りうぼう楽市開店。

そして2002年、サンエー那覇メインプレイスが開業。

2003年、沖縄都市モノレール開業。

当時とんでもなく大きな建物が出来たなぁなんて思っていたのですが、今ではそれ以上に大きい商業施設が出来てますね。

2007年、県立博物館・美術館開館。

と発展を遂げ、地元県民だけでなく県外からの観光客も訪れる地となり、さらには那覇市中心部と違い航空規制も無いため、高層マンションの建築も行われ人気の住宅地となっています。

また日本的な街づくりを行ったことから沖縄感の薄い整然とした街並みや、移住者が多く日本的な空気感を持っているのも、那覇新都心地区の特徴です。

那覇市おもろまち

おもろまちの名前の由来

区画整備を行うにあたって問題になったひとつが町名。

元々字安里、真嘉比、上之屋、銘苅と4つの区画にまたがる土地だったのですが、公募による町名変更の結果「おもろまち」となりました。

賛否両論、議論を呼びますがこの名前に落ち着いたと言う訳です。

おもろは沖縄の言葉で「想い」の意味。

戦時中は激戦地のひとつでもあったので、平和への思いも込められています。

幻の施設たち

建設が実現しなかった施設

新都心には開発段階から様々な噂が立っていましたが、中止となった計画がいくつかあるのです。

~ 那覇市役所 ~

現在、高層マンションが建つ土地は那覇市役所の移転予定地でした。市の財務状況を理由に民間事業者に土地を売却し、市役所は現在の那覇市泉崎に建て替えとなりました。

~ ダイエー ~

現在サンエーメインプレイスが立つあの土地。

当初はダイエーが進出する予定でしたが、経営難によりそもそも沖縄から撤退してしまいました。

~ 第2地方合同庁舎 ~

因みに、現在建設中の合同庁舎3号館には、沖縄気象台をはじめ総合通信事務所、南部国道事務所、沖縄地区税関が新たに入居予定とのこと。

戦後沖縄の基地返還地域の最大の開発成功例ともいわれる那覇新都心。

激動の時代で様々な出来事が起こりましたが、きれいな街です。

今後も目が離せません!

以上、那覇新都心地区の歴史を振り返りました。

※当サイト調べによる情報です。