琉球から沖縄。「琉球・沖縄のリーダーたち」

琉球・沖縄のリーダー

琉球・沖縄のリーダーたち

概要

独立国家・琉球に始まり、琉球処分・アメリカ統治を経て沖縄県へと続いてきました。

琉球と呼ばれていたころ、この地には国王が存在し、アメリカ施政権下では琉球政府の長・行政主席が、そして再び日本へと変わった1972年以降は県知事が沖縄のリーダーとして活躍してきました。

ここでは、各々の時代におけるリーダーについて見ていきたいと思います。

琉球黎明期

舜天王統

昔から魚や木の実を食べて生活していた琉球の人々ですが、13世紀頃になると農業が本格化します。

各地で集落をまとめる実力者が現れました。

その中でも強大な勢力を持っていたと言われるのが、浦添を中心に勢力を広めていた舜天

諸説ありますが、この舜天が琉球国王の始まりと言われています。

しかし、

舜天から数えて3代目、義本が国王の時のこと。

琉球は飢饉や疫病が相次ぎ民は苦しい生活を強いられました。

義本は自らの不徳のせいと自身を責め、当時豊かな村を作っていた英祖を摂政に迎えたのです。

西暦国王
11187年~1237年舜天
21238年~1248年舜馬
31249年~1259年義本

英祖王統

英祖が摂政に就き数年も経つと、飢饉も落ち着き安定した社会を迎えるようになります。

これを受け、義本は国王の地位を英祖に禅譲

その後も英祖は、農業の発展に力を注ぎ、琉球で初めてのお寺を建設して仏教を受け入れるなど、様々な面で国の為に尽力します。

真偽がはっきりしていませんが、当時1大帝国を築いていたモンゴルの侵攻を撃退したという話も残っています。

西暦国王
11260年~1299年英祖
21300年~1308年大成
31308年~1313年英慈
41313年~1336年玉城
51336年~1349年西威

察度王統

英祖によって豊かになり始めた琉球ですが、後を継いだ4代目の玉城は不祥事続出。民の信頼が離れてしまいます。

その後の西威も、傾いた王室を立て直すことが出来ずに亡くなってしまいます。

そこで後継に推されたのが、農民からの信頼が厚かった察度

国王になった察度のもとに明からの使節が来ると、使者として弟を派遣し明との交流が始まります。

その後も明をはじめ、東南アジアとの交易で琉球は国力を付けていきました

西暦国王
11350年~1395年察度
21396年~1405年武寧

琉球王朝時代

第一尚氏王統

この頃、佐敷の実力者「尚巴志」が南山一の実力者を倒し、1406年には察度の居城だった「浦添城」を制圧。

続いて琉球各地を制圧し、父親である尚思紹を王に迎えて琉球の統一王朝が始まります。

尚巴志は新たに首里城を国の中心に据え、龍潭など周辺の整備を行いました。

国をまとめ平和を迎えたように見えた琉球ですが、次第に王位を巡る争いが起きるようになりました。

5代目尚金福が亡くなった際には、争いによって首里城が焼失しています。

西暦国王
11406年~1421年尚思紹
21422年~1439年尚巴志
31440年~1444年尚忠
41445年~1449年尚思達
51450年~1453年尚金福
61454年~1460年尚泰久
71461年~1469年尚徳

第二尚氏王統①

第二尚氏が始まる

王位を巡る争いは激しさを増し、尚徳が亡くなると家臣によるクーデターが発生。尚思紹から続く王統が途切れます。

新たに国王となったのが役人として働いていた金丸。

金丸は尚円を名乗り、ここから第二尚氏と呼ばれる琉球で最も長い王統が始まります。

尚円亡き後に実権を握った王妃は、官僚機構を作り上げ玉陵(たまうどぅん)や園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)といった施設を整備。

更に奄美や先島にまで影響力を強めていきました。

薩摩の侵攻・琉球の衰退

16世紀に入ると琉球の交易は次第に衰退し、朝鮮への侵攻を進める日本からは兵糧の提供を強制されるようになります。

1609年には島津の侵攻を受けて当時の国王・尚寧は降伏し、抵抗した当時の三司官・謝名親方ら家臣は殺されていきました。

こうして薩摩に編入された琉球ですが、国王・尚寧は明と日本の間で難しい舵取りを迫られます。

西暦国王
11469年~1476年尚円
21477年尚宣威
31477年~1527年尚真
41527年~1555年尚清
51556年~1572年尚元
61573年~1588年尚永
71589年~1620年尚寧
81621年~1640年尚豊
91641年~1647年尚賢
101648年~1668年尚質
111669年~1709年尚貞
121710年~1712年尚益

尚氏第二王統②

文化の力・平和外交

難しい時代を迎えた琉球ですが、多くの改革や文化の発展が起こった時代でもありました。

壺屋焼、泡盛、紅型、赤瓦など琉球を代表する品々は、この時期に成立したもの。

19世紀に入ると明治維新によって日本政府が発足。

琉球を日本属として編入し、国王・尚泰は江戸へ召喚され琉球王国は終焉を迎えました。

また、多くの偉人たちが名を遺した時代でもあります。

<羽地朝秀>

既得権益を破壊し不正をただして、次々と改革を進める。

<儀間真常>

中国から入ってきた芋を国内に普及、黒糖の生産システムを中国福建省から取り入れ、高級品であるウコンの生産にも取り組む。

<玉城朝薫>

組踊を創作し、国外からも高い評価を得た。

西暦国王
131713年~1751年尚敬
141752年~1794年尚穆
151795年~1802年尚温
161803年尚成
171804年~1834年尚灝
181835年~1847年尚育
191848年~1872年尚泰

アメリカ統治下でのリーダー

アメリカか、日本か。

終戦後、「銃剣とブルドーザー」によって土地を接収された沖縄県民は大きな不満を募らせます。

米軍由来による事件も相次ぎ、米軍基地の無いかつての日本属を求める運動が大きくなっていきました

その先頭に立ったのが屋良朝苗。

日米両政府との折衝を続け、1972年に日本へと世替わりを迎えました。

西暦主席
11952年~1956年比嘉秀平
21956年~1959年當間重剛
31959年~1964年大田政作
41964年~1968年松岡政保
51968年~1972年屋良朝苗

戦後の沖縄県知事

基地と経済

屋良朝苗は県知事を2期務めて退任。

その後は保守・革新と「政権交代」を繰り返してきました

2014年には辺野古への基地建設を最大の争点に、翁長雄志・仲井眞弘多の激しい選挙戦が行われ、10万票近い大差で翁長氏が当選。

かつて自由民主党の県連幹事長を務めていた翁長氏ですが、「イデオロギーよりアイデンティティ」と広く県民の支持を集めました。

戦後沖縄の政治は、基地か経済で揺れ続けてきました。

それをバランス良く解決できるチャンスだったように思います。

西暦知事
11972年~1976年屋良朝苗
21976年~1978年平良幸市
31978年~1990年西銘順二
41990年~1998年大田昌秀
51998年~2006年稲嶺恵一
62006年~2014年仲井眞弘多
72014年~2018年翁長雄志
82018年~玉城康裕

以上、琉球・沖縄の歴代リーダーでした。

※この情報は当サイト調べによるものです。