沖縄観光の歴史
沖縄観光の歴史
沖縄県の経済を牽引する2大産業として観光産業と情報通信産業があげられます。
2019年には観光収入は7500億円に迫る勢いで、入域観光客数も1,000万人の水準に達しました。
沖縄産業の2番手である情報通信産業でも2,500億円の経済規模なので、いかに沖縄にとって観光業が大きな産業であるかがお分かりいただけると思います。
沖縄が日本に変わりパスポートがいらなくなった1972年の入域観光客数は約44万人。サミットが開催された2000年で約450万人。
そこから着々と多くの方に来県いただくようになり、ついにハワイと肩を並べるまで成長を遂げました。今では日本国内のみならず世界中から沖縄に足を運ぶ人も増え、海外に方にも観光地として認識されています。
今回はそんな沖縄観光の過去と未来について見ていきたいと思います。
――― この記事の内容 ――― ●戦後・アメリカ世(~1971年)
●日本世(1972年~1989年)
●激動の平成(1989年~)
●1,000万時代
●オーバーツーリズム問題
●沖縄観光の未来
●戦後・アメリカ世(~1971年)
●日本世(1972年~1989年)
●激動の平成(1989年~)
●1,000万時代
●オーバーツーリズム問題
●沖縄観光の未来
戦後・アメリカ世(~1971年)
戦後の沖縄はアメリカの統治下に入り、独自の文化・経済を築いていきます。アメリカ世(アメリカユー)とも呼ばれアメリカの様々な文化が沖縄に根付いていったのもこの頃から。当時の沖縄はアメリカの統治下でしたので日本との行き来にはパスポートが必要でした。
経済面
経済面を見るとお金はB円が発行されていました。1ドル=360円の時代に1ドル=120B円というレートが設定され、日本からの輸入に有利なレートとなります。
これは米軍が建築資材を日本から安くで入手するための措置だったと言われていますが、同時に沖縄の経済が輸入に頼る傾向が強まり製造業が衰退した要因のひとつと言われています。
1958年にはB円が廃止され新しくアメリカドルが流通。日本の統治になるまで米ドルが使われることになります。
観光面
当時沖縄を訪れる観光客の主な目的は「墓参観光」。戦争で亡くなられた方のお参りなど、戦後の慰霊が目的で沖縄へ足を運ぶ人がほとんどでした。
お墓参りを済ませた後は買い物を目的とする人も多く、ドル経済圏になった沖縄では世界各地からの輸入品が安くで購入出来たり、当時の沖縄での買い物が免税の対象になったりと、日本で購入するより安くで手に入るという事情もあったようです。
当時の日本の人口が約8,000万人に対して、入域観光客数はその0.03%にあたる2万人(1960年)。そもそも今と違い気軽に沖縄に行くことが出来る環境ではなかったという点も考慮するべきかと思いますが、とても観光地と呼ぶことが出来る環境ではありません。
しかし、戦地を参拝後ショッピングをするという今の沖縄観光の下地が既に出来ているという事実も見逃せません。
日本世(1972年~1989年)
1972年5月15日、沖縄は再び日本の統治下へと編入されることになります。「アメリカ世から大和世へ」と呼ばれる大きな出来事です。
1975年には沖縄の日本復帰記念事業として海・海洋をテーマに沖縄国際海洋博覧会(海洋博)が半年にわたり開催。当初の想定ほど盛り上がりには欠けてしまったのですが、海洋博が沖縄にもたらした影響は絶大でした。
インフラ・社会基盤の整備
沖縄自動車道を始めとする道路整備、大型宿泊施設や観光施設が建設されたのもこの時期。観光に必要とされる設備の基礎が整いました。
当時から沖縄県を観光地として成長させる意思があったようで、沖縄本島だけではなく石垣島、宮古島の空港整備や治水事業・ごみ処理施設の整備もこの時大規模に行われています。
沖縄の認知度の向上
全国的なイベントでもある博覧会の開催によって沖縄の名前が広がります。そして気候・風土を含めた”沖縄の良さ”が広まる大きなきっかけになります。
海洋博終了後は反動で観光客数は半減しますがそれでも増加傾向は変わらず、1976年から1979年のわずか3年間で沖縄を訪れる観光客数は倍以上に増加。観光地としての沖縄が定着し始めます。
1979年の第2次オイルショックや当時の円高不況に見舞われ観光客数の伸びは鈍化しますが着実に増加。更には総合保養地域整備法の整備によりリゾートブーム。リゾートホテルが相次ぎ開業しました。
激動の平成(1989年~)
平成はまさに激動の時代。
1992年に首里城公園が開園しますが、1991年のバブル経済崩壊や円高による海外との競合により厳しい状況は続きます。
流れが変わったのが90年代後半から。
追い風
・1990年代 沖縄出身のアーティストの活躍。
・2000年 「九州・沖縄サミット首脳会合」開催。首里城正殿をバックに写真撮影をしていたのが印象的でした。
・2001年 NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」の放映開始。
・2003年 美ら海水族館がリニューアルオープン。
・2004年 沖縄都市モノレール開業。
沖縄の知名度、社会基盤の整備、観光地としての認知が広まります。
逆風
・2001年 アメリカ同時多発テロ発生。
・2002年 中国を中心にSARSコロナウイルス拡大。
・2003年 イラク戦争開戦
・2007年 世界金融危機
・2011年 東日本大震災発災
負の影響も受け順風満帆でもなかった時代。
しかし平成も後半に入ると高校総体や中国人観光客への数次ビザ発給が始まり、国内観光客だけでなくアジアを中心に海外からの旅行者も増え、入域観光客数の急激な増加が起こります。
そして2019年にはついに1,000万人の大台突破。ハワイと肩を並べるまで成長を遂げました。
1,000万時代(2019年~)
観光地 | 保養・休養 | 海 | 仕事 | 会議 | |
春季 | 21.6 | 14.5 | 8.9 | 17.1 | 7.2 |
夏季 | 11.6 | 14.2 | 34.2 | 9.2 | 8.1 |
秋季 | 24.5 | 11.4 | 2.0 | 14.8 | 12.7 |
冬季 | 31.0 | 12.6 | 1.1 | 14.5 | 6.3 |
沖縄観光のメインは夏場
沖縄への旅行の目的を訪ねると夏場は圧倒的にマリンレジャーが多いのに対し、冬場は観光地巡りや仕事といった理由がならびます。
冬場のコンテンツの弱さは以前より指摘されているところですが、近年では冬場のリゾートやライトアップ夜景遺産にも認定されたイルミネーション、国内外のプロスポーツキャンプ誘致など、着実に足固めをしつつあるのも事実。
また、観光客が沖縄滞在中に消費する1人当たりの金額はバブル期が9万円だったのに対し2019年には7万3千円。減少傾向に歯止めはかかったものの、よりコンテンツを充実させることで選択肢を増やし、様々な体験やアイテムを増やす必要があると考えられます。
ハワイとの決定的な差は滞在日数
沖縄もハワイも観光客が1日当たりに消費する額は2万円強と言われますが、沖縄の平均滞在日数が約4日。一方ハワイは9日ともいわれ、その差が観光収入の差に直接結びつく結果となっています。
「せっかく沖縄に来たんだから、海に行こう。水族館行こう。首里城行こう。イルミネーション見よう。泡盛飲もう。お土産買おう。。。」と沖縄でやりたくなることをたくさん作る。「来年もまた行く!」と思わせるサービスを提供する。
そんな仕掛けを次々と考える必要があるのでしょう。
オーバーツーリズム(現在)
観光公害(オーバーツーリズムの問題)
多くの観光客が訪れる沖縄ですが、ハワイのそれとは違い多くの課題も抱えています。特に大きな課題として業界の共通の認識にあるのが、観光収入と観光公害(オーバーツーリズム)。観光公害の影響も深刻です。
常々思うのは、観光業界は地元の方の協力あってのもの。
慣れない土地なのでバス・タクシー・レンタカーと戸惑うのも仕方ないのですが、バス停の駐停車禁止は全国共通。バスレーンも全国共通。歩道の使い方もどの国も似たようなもの。。。
マナーを守ったうえで楽しんでいただく取り組みは官民合わせて行う必要があり、まだまだ不足、というか早急に取り組まないといけない。
特に県庁前、首里城周辺、国際通り、、、
違法駐車や渋滞、一般の車だけでなくバスやタクシーにも当てはまること。観光専用の駐停車場所を作ったり、配達専用のルートを作ったり、出来ることはたくさんあるはず。そのひとつとして沖縄版ゾーニングを提唱しています。
大局の面から行政・業界を巻き込んだ抜本的な取り組みが急務です。
沖縄観光はいまから
沖縄観光はまだまだ伸びる!
さまざまな難局を乗り越えてきた沖縄観光。
今は新型コロナウイルスの影響で大きく落ち込んでいる県経済ですが、この危機もきっと乗り越えられると信じています!観光公害についても、日本でも貴重な経験をしている沖縄県。
課題を解決して乗り越えた先には、沖縄モデルとして日本の観光を引っ張る役割を果たすことが出来ると考えています。
まだまだ課題は多くありますが、その分伸びしろも無限大。
今後も目が離せません。
参考文献
―沖縄県
―宮城, 敏郎; 伊良皆, 啓; 大谷, 健太郎(2016)「沖縄観光産業史に関する研究 : 沖縄国際海洋博覧会開催を境とする前後10年の沖縄観光を中心として」名桜大学総合研究所
-多田治(2002)「沖縄イメージの誕生―沖縄海洋博と観光リゾート化のプロセス―」早稲田大学大学院