6月23日の『慰霊の日』について考える

『慰霊の日』について考える

6月23日は『慰霊の日』

沖縄では6月23日になると平和祈念公園での式典を中心に、各地で鎮魂と平和への想いを馳せる日になります。

1945年、日本軍はアメリカ軍と激しい戦争を繰り返しながら、最終的に沖縄本島の南端・糸満市摩文仁へと追い込まれました。

1945年6月になると日本軍は主戦力の大半を失い、組織としての抵抗力はほとんどなかったと言われています。

1945年6月23日には、沖縄で軍の指揮を執っていた司令官が自害。

これを以て、沖縄での組織的な戦争は終結したとして、6月23日が慰霊の日として定められました

制定当初は6月22日

制定当初は6月22日

慰霊の日が制定されたのは1961年のこと。

当時の琉球政府立法院により「沖縄の縁没者の霊を慰め平和を祈る日」として、慰霊の日は当初6月22日と決められました。

その後、様々な調査を経て1965年に6月23日へと変更。

主な理由として「自決した司令官は6月22日に自害すると書き入れていたが、当時の状況から果たすことが出来ず、翌日未明にまで遅れた」ということ。

これにより、慰霊の日は現在の6月23日になりました。

6月23日以降も戦は続いた

1945年9月7日・琉球列島の降伏調印式(沖縄県公文書館所蔵)

6月23日は組織的な戦争が終わった日

司令官の自害以降も、「最後まで戦え」と命令が出ていたことや、そもそも終戦したかどうか定かではない状況で、多くの命が失われたと言われています。

実際に沖縄を含む地域の降伏調印が行われたのは1945年9月7日でした。

日本政府の降伏調印よりも後の事です。

沖縄での戦死者の半数は住民

住民の犠牲は10万人

平和の礎に刻銘されているのは外国人14,590名、沖縄出身者149,584名、県外出身者77,458名の241,686名(2023年1月26日)。

そのうち半数近い10万人ほどは住民と言われ、多くの命が失われた事実があります。

ただ実態をつかめていないケースもあり、実際にはもっと多くの犠牲があったともみられています。

戦争について調べていると、人の命に関わるセンシティブな画像・映像を目にする機会があります。

その度に、二度とこのような戦争を起こしてはいけないと思いを固めると同時に、世界中で起きている争いが一刻も早く終わることを願っています。

以上、慰霊の日について考察しました。

※当サイト調べによるものです。