【琉球王朝から続く銘菓】ちんすこうの歴史

ちんすこうの歴史

起源は琉球王朝時代。

沖縄を代表するお菓子として県民のおやつとして、お土産として大人気のちんすこう。

近年では雪塩を使ったものやチョコレートでコーティングしたものなど、様々なフレーバーの商品が販売されていて、多くのお菓子メーカーが製造を続けています。

今や70社もあると言われるちんすこうのメーカーですが、一番初めに作ったのは琉球王朝時代に王族の料理番をしていた人。

今回はその歴史について見ていきます!

ちんすこうの起源

ちんすこうの起源

ちんすこうの起源は200年以上も前にさかのぼります。

当時の沖縄は琉球と呼ばれる国として独立していて、中国や日本、東南アジアとの中継貿易によって黄金期を迎えていました。

中継貿易では経済的なつながりだけではなく、文化・技術・知識の交流も行われ、お菓子作りの技術についても琉球に伝わってきています。

その頃、琉球で王族の料理番であった“新垣淑規”氏が伝わってきた技術を生かし、お菓子作りを開始。

名前を聞いてピン!と来た人もいるでしょう。今や「新垣ちんすこう」で有名な新垣菓子店のご先祖様にあたるお方です。

そうして出来上がったちんすこう。王族や身分の高い人が食する貴重なお菓子で、我々庶民が口にする食べ物ではなかったのですね。

戦後復活したお菓子作り

戦後復活したお菓子作り

琉球王朝時代に作られていたちんすこうは丸い形をしていて、食感もしっかりしたものだったと言われています。

大きな転機を迎えたのが沖縄戦。戦禍によって多くの資材を焼失してしまい、資材や原料の調達を1から始めなければいけませんでした。

お菓子職人たちは諦めずに素材をかき集め、再びちんすこうづくりを再開させます。

その時に使われたのが米軍基地から廃棄されたクッキーの型枠。

クッキーの型枠を使って出来上がったのが、現在のギザギザした形をしたちんすこうなのです。これが県民だけでなく、お土産として持ち帰った観光客の間でも徐々に広まり、沖縄のお土産としてのちんすこうが確立していくこととなりました。

琉球の料理番?

家系図

先にも出てきたように、ちんすこうは元々琉球王族の料理番が完成させたお菓子。

料理番の名前は新垣淑規さん。

この方から代々受け継がれてきたのが、橙の系譜で示した『琉球菓子元祖 本家新垣菓子店』。そして分家して出来た『新垣菓子店』と『新垣カミ菓子店』。この3つが現在も新垣の名を引き継ぐお店です。

琉球菓子元祖 本家新垣菓子店

直営店や一部の販売所のみで取り扱いのある、なかなか手に入らない伝説のお店。

甘くて食べやすいのに上品さを感じられる、確かな品質がおすすめ出来るポイントです。

新垣菓子店

本流から分家した1派がこの新垣菓子店。

何処にでも売っているくらい大きく成長した会社で、お土産の定番!

新垣カミ菓子店

元々は王族の子守として、出入りのあったカミさん。その縁があって新垣家に嫁ぐことになりました。

「昔からの味は絶対に変えてはいけない」と常に厳しくお菓子作りを続けています。

実は事件が起きていた!

実は事件が起きていた!

順調にお菓子作りが再興し始めた矢先、事件が起こります。

なんと銘菓として売れ始めたちんすこうを、他の人が売り始めたのです。

1975年に沖縄から商標登録を出願するものの、鹿児島県の業者が先に出願していたことが発覚。異議申し立てをしたうえで、鹿児島県の業者は大人の対応を取ります。

しかし、結果としてちんすこうは「既に慣用標章として使用されているに過ぎない」という理由で出願した商標登録は却下されてしまいます。

多くのメーカーが製造を始める

これ以降、多くのメーカーがちんすこうと称する菓子の製造を始めます。

競合したからこそ生まれたであろう逸品もあり、様々なバリエーションの品ぞろえとなっていますが、一方で品を貶めるモノもあり、これに関しては駆逐するべきものだと考えています。

以上、ちんすこうの歴史を振り返りました!

簡単ではありますが、ちんすこうの歴史について振り返ってきました。

沖縄の歴史を体現したお菓子ともいえるちんすこう。多くの味、風味、食感のモノがあり、人それぞれ好みは違うと思います。

この内容を知ったうえでお菓子選びをしていただくと、これまでと違った視点で沖縄を感じていただくことが出来るのではないでしょうか??