ギネス認定!『那覇大綱挽』製作と深夜の準備作業に密着!
ギネスにも登録された那覇大綱挽
那覇3大祭りのひとつ「那覇大綱挽」は秋の風物詩として、またお祭りとしても県内外で人気の行事で、毎年約30万人が参加する那覇最大級のイベントです。
約15000人の挽き手が東西に分かれ、30分の制限時間内に決着が着かない場合は引分という、とても規模の大きい綱挽。
そんな那覇大綱挽は過去に3度ギネスの認定を受け、世界一の綱としても有名です。
今回は世界一の大綱が、当日設置されるまでの様子を追いかけます。
那覇大綱挽の概要
那覇大綱挽の歴史
那覇大綱挽が始まったのは1450年頃。
当時、港町として栄えていた那覇4村を中心に国家平穏と海上安全を祈り、お祭りとして成立してきた行事です。
その伝統も一度は途絶えてしまいますが、1971年に那覇市の市制50周年記念事業として再開しました。
平和祈念の想いを込めて那覇が大空襲を受けた10月10日、再び那覇大綱挽の歴史が動き出したのです。
【ギネス認定】那覇大綱挽の規模
那覇大綱挽は1995年に「米藁で製作された世界一の綱」としてギネス認定登録を果たし、以降2度その規模を更新してきました。
現在では全長200m、総重量40トン、直径1m56cm の世界最大級の大きさへ成長。
当日は約30万人の人が参加する那覇最大級のイベントです。
準備1 綱の製作と保存場所
綱の製作は夏に始まる
綱の製作は「綱打ち」と呼ばれ、毎年8月中旬から那覇軍港内で行われます。
本綱の製作では細い綱(芯綱)を何重にも束ね、化粧綱と呼ばれる綱で外側を覆いながら、実際に人の手で握る手綱を結んでいきます。
手作業と重機を使った作業で、およそ1か月半かけて全長200mの大綱を作り上げます。
製作・保管場所
かつて1971年に那覇大綱挽が復活した際には、糸満の綱引で使用したものを購入して加工していました。
次第に経済的な理由からやんばる国頭村で作られるようになりますが、管理や那覇への運搬に労力を要することから那覇市内で製作するようになります。
現在は祭り会場の奥武山公園近く、米軍那覇軍港内で綱打ち・製作・管理を行っており、20年以上この場所で綱打ちが行われています。
現在の那覇大綱挽は米軍の協力あってのものと言えるのです。
準備2 綱の設置
現場の準備は当日未明から
綱の設置は交通量の少ない当日未明から始まります。
中央分離帯を撤去し、本番前に交通規制が行われるまで安全に通行できるように綱を設置していきます。
作業が終わるころには空も明るくなっていて、毎度ながら神経を使いつつ速やかに作業をこなす職人さんたちには頭が下がる思いです。
時系列に沿って、作業の流れを見てみます。
AM1:00(中央分離帯の撤去)
国内でもかなり珍しい着脱式の中央分離帯。
大綱を設置する前に、一つひとつのブロックを取り外していきます。
AM2:00(中央分離帯を埋める)
取り外した中央分離帯を埋めるように、隙間なく鉄板を敷き詰めていきます。
そして丁寧に溶接を行い、安全に綱挽が実施出来るように地面を均します。
ここで綱挽を安全に行う土台が完成。
AM4:00(綱を設置する)
中央分離帯の撤去が終わり土台が完成するといよいよ大綱の登場。
那覇軍港からトラック2台で男綱と女綱が運ばれ、東西に分かれてクレーンで吊り上げてゆっくりと設置していきます。
多くの方が「龍が動いているように見える」と形容する大綱の設置作業。
壮大さを感じることが出来る、特別な瞬間です。
AM5:30(微調整を行う)
完全に設置する前に、位置や角度を調整している様子も見られました。
大綱挽のスムーズな進行と、それまでの道路の安全を守るためにも大事な作業なんですね。
準備3 綱と綱を繋ぐ「かぬち棒」
開始直前のかぬち棒
東と西、男綱と女綱に分かれた綱を結ぶのは「かぬち棒」と呼ばれる巨大な棒。
かぬち棒は長さ365cm、直径43cm、主さ365kgという巨大な棒で、1年365日が平穏であるようにという願いが込められています。
本番前に交通規制後に東西に設置された綱を人力で中央に寄せ、この間にかぬち棒を射していよいよ大綱挽の準備の完了です。
那覇大綱挽の歴史と祭り
那覇大綱挽・那覇大綱挽祭り
現在、那覇大綱挽は10月のスポーツの日の連休に合わせて行われています。
同時に那覇大綱挽祭りとして奥武山公園では屋台が並び、ビアフェスタやステージ上では様々なアーティストのライブなどが開催されています。
那覇大綱挽の歴史や、那覇大綱挽祭りについてはコチラをご覧ください。
以上、那覇大綱挽の準備に密着しました。
※当サイト調べによる情報です。